心の中に崩れない軸を持つ事

子供のように純粋な心と

幼稚な心 言動は別物と私は思う

特に飲食店 学校や 物事を学ぶ教室で

その人の心の癖が見える時があります

子供のうちはまだ何とかなるのですが

その感覚が抜けない大人は

色々な問題を抱えるようになります

人は四角四面な 固い人間より

少し崩れてる方が親しみもあり

一緒にいってても楽しい部分はあるのは

私も認めますが 崩れすぎは問題です

今の社会

流されないように生きることは

とても難しいことですが 

当たり前の基本的なことを

大人が守ることは 子供の心を

育てることにもつながっていきます

では 崩れないようするには

どうすればいいのか?

大人が

食事をする前に手を合わせて食事をし

粗末な食べ方をせず 感謝の気持ちと

綺麗な食べ方ができるか

【大人が片足を椅子に乗せて食べる姿も考えるべきです】

大人が

どこへ行っても きちっと礼儀正しく

挨拶をできている

大人が

やると決めた物事に真剣に取りくみ

嫌なことがあるなら期限を決めて

それまでは ちゃんと 取り組んでいるか

大人が

素直に間違いに気がつき

人に素直に頭を下げる姿勢があるか

【頭を下げる姿はみっともなく映るばかりではなく 美しさもあることを知ってほしい】

大人が

自分の願望を子供に押し付けすぎていないか

子供は自分のコピーではないことを

理解しているか

大人が

裕福であること

社会的地位があることだけが幸せではない

ことをしているか

大人が

不平不満 主義主張クレームを言う前に

自分の義務をしっかり果たしてから

主張ができているか

誰々も 言っていた みんなも

そう言っていたの

主張は 一番幼稚な姿です

大人が

人の悪口 噂話 イジメ 

【無視 眼差しの暴力も含む】

をしない姿勢があるか

大人が

障害を持った方や お年寄り 子供

困っている人へ

気配りを持って 接しているか

書き出せば もっとたくさんありますが

当たり前のことです 

それが今 大人たちの間で

難しくなってきてるのも確かです

子供の目に映る大人の言動は

心に大きな影響を与えます

少々子供が道から外れそうでも

今まで見てきた大人の言動は

落ちるとこまで落ちない 受け皿として

心の軸となり 

残っていくことにもなります

今日は生意気に

いろんなことを書きました

私もたまに崩れすぎた言動に

幼稚すぎたと

反省すること あります

皆様今日も良い1日を

この記事を書いた人